9月に入り、近頃は寝苦しい夜も減りましたので、怖い話というわけではありません。
先日、友人の集まりで健康の話題になり、そこから食事の話へ、更に「一食どのくらいお米を食べるか」というような話になった時です。
何杯お代わりをするだとか、家族で日に何合だとか言い合ってると、どうも話が噛み合わない。
よくよく聞くと、ご飯をよそうお茶碗のサイズがてんでバラバラなことが分かりました。
年代も性別も色々の集まりでしたので、食事の量が違うことは端からお互い分かっていたわけですが、「お茶碗1杯」という、(一見すると) 共通の単位に変換した途端、むしろ認識が何だかあやふやになっていたようです。
お茶碗ということばの内側のイメージの幅広さもさることながら、よく言われる「定量 / 定性」の概念について、”定量的”とは、単に量的な表現をするだけでは実は十分ではなく、その数量の単位や定義についてもきちんとコンセンサスを得ておく必要があるのだなあ、というようなことを改めて気を付けようと思ったのでした。
コメント