岐阜県郡上の「石徹白洋品店」さんに伺いました。
石徹白(いとしろ)という山深い集落の中にお店を構え、そこに伝わる民衣を現代風にリデザインして制作・販売されている”服屋さん”です。
「たつけ」「はかま」と呼ばれるパンツをはじめ、どれも和裁のような直線断ち・直線縫いで、布の無駄が出ず、しかも体形や動きの邪魔にならないように考え尽くされていて、型紙を眺めているだけでもそこに積み重ねられた創意工夫を感じられる貴重な体験でした。
ちなみに冬の間は雪のためお休みで、一年の半分だけ予約して来店ができるのですが、お邪魔すると、石徹白の地域や衣服に関するお話を色々と聞かせていただけます。
その詳しい内容については是非直接お越しいただくとして、個人的に印象に残ったのは、「これらは農作業用の普段着だけれども、だからこそ、おしゃれ着でもあった」というくだりでした。
石徹白洋品店さんの製品は確かに現代に合わせてアレンジされてはいますが、一緒に見せてもらった古い「たつけ」「はかま」の原型はどれもとても洗練されていて、「どうしてこんなにおしゃれなんだろう」と何となく不思議に思っていた自分は、逆に「農村の作業着はあまりおしゃれでないもの」という先入観を持っていたことに気付きました。
車道が整備されるまで、かつては辿り着くのも一苦労だったであろう山間部です。日々の農作業それ自体がみんなの交流の場であり、コミュニティそのものであり。であれば、着物やお化粧に気を遣うことだって何の違和感も無いはずなのに、
「昔のもの・周辺のものは、質素で実用的」
「今のもの・中央のものは、華美で装飾的」
という二元論を無意識に組み立ててしまっていたようです。
でもよく考えてみれば、私たちだって普段、仕事中も気に入ったものを身に着けていたいという気持ちを持っていますし、野良着だって(石徹白の民衣が、厳密に野良着というジャンルなのかはともかく)、実用性に重きが置かれているのは間違い無くとも、着る人にとって、その土地・その時代それぞれの美感を反映した、それぞれの”ファッション”であったはずなのです。
「日本の良いものを再発見する」というreshackのミッションを考えた時、単に「古いものだから優れている」という意識で留まることなく、なぜ・どこが良いのかを、きちんと受け取り・伝えることの大切さとむずかしさについて、改めて考えさせられた一日でした。
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