「茶碗」の中

9月に入り、近頃は寝苦しい夜も減りましたので、怖い話というわけではありません。

先日、友人の集まりで健康の話題になり、そこから食事の話へ、更に「一食どのくらいお米を食べるか」というような話になった時です。

何杯お代わりをするだとか、家族で日に何合だとか言い合ってると、どうも話が噛み合わない。

よくよく聞くと、ご飯をよそうお茶碗のサイズがてんでバラバラなことが分かりました。

年代も性別も色々の集まりでしたので、食事の量が違うことは端からお互い分かっていたわけですが、「お茶碗1杯」という、(一見すると) 共通の単位に変換した途端、むしろ認識が何だかあやふやになっていたようです。

どんぶりのような形(なり)、とても小ぶりな、少し変わったお茶碗

お茶碗ということばの内側のイメージの幅広さもさることながら、よく言われる「定量 / 定性」の概念について、”定量的”とは、単に量的な表現をするだけでは実は十分ではなく、その数量の単位や定義についてもきちんとコンセンサスを得ておく必要があるのだなあ、というようなことを改めて気を付けようと思ったのでした。

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この記事を書いた人

星野雅一のアバター 星野雅一 合同会社reshack

翻訳会社でのコーディネーターを経て、
現在はWeb製作・マーケティング全般に従事。
合同会社reshackでは、主にふんわりした方の記事を担当。

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